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断じて、「有志連合」に参加してはならぬ

2019.8.24

 ホルムズ海峡の航行に不安があるというので、米国がいわゆる有志連合による船舶護衛を呼びかけている。すでに、英国とバーレーンにつづきオーストラリアも参加を表明した。日本も参加を働きかけられているが、「総合的に検討する」(岩屋防衛相)のコメントにみられるとおり、日本はこの件につき明確な判断を示していない。はたして日本は、「有志連合」に参加して自衛隊を派遣すべきであろうか。これに関して私の考えは明快である。断じて、この「有志連合」に参加してはならない。
 わが国は、近代化以降、軍事力をもって海外に展開し、結果として国を滅ぼした経験をもつ。その反省に立ち、戦後の新日本建設にあたっては「他国の国際紛争に軍事力で介入しない」ことを国是として固く誓ったのである。平和創造のためには、国連決議を目印に汗をかくことにやぶさかではないが、外交がままならぬから軍を出すなどという道とは訣別したのである。これまで我が国は、法律と規則、国際交渉と国際協調をもってやって来たし、その足跡は国際社会から一定の評価を得られているものと自負してよい。
 そこで今回の件であるが、まず、日本の国華産業運行のタンカーが攻撃された事案は、いったい誰が、何のために攻撃したのか、真相はいまだ、まったくもって「藪の中」である。その後も、日本の船舶が攻撃を受けたり、拿捕されたりする事案は一件も発生していない。したがって、少なくともわが国にとって明確な脅威がホルムズに発生しているとは言えない。さらに六月に、わが国の安倍首相が米国から請われ、イランからも請われてテヘランに赴き、両国の間に立って仲介・周旋の努力をしている途上である。難しい調整役を引き受けて、そこに全力を注ぐ姿を見せることは、国際社会からの信頼をかちとる上でどれほど重要なことか、言うまでもないだろう。ここで自衛隊を出したのでは調整役たりえなくなるのである。戦後日本の外交理念に照らしみたとき、「有志連合」には一ミリの迷いもなく「不参加」を表明すべきである。
 一方で、「米国の意向を無視できるのか」「多少問題あっても米国に従うべきだ」という声もあるだろう。しかし私は、米国追随のメンタリティーで自国の安全保障に関する意思決定をしてはならない、ということをことさらに強調したいと思う。そもそも米国追随路線は、この先行き止まりの袋小路になっている可能性が高いからである。
私がそう考えるには理由がある。第一に、米国は自国の利益を減じてまで、日本防衛にあたることはないという現実だ。それは、尖閣諸島の領有権に関し中立の立場をとっていることや、いわゆる「核の傘」が〝あって無きが如きもの〟であることからしても明白である。
第二に、米国の国際戦略はどう見てもうまくいっているようには思えない。国連の賛同が得られなくとも有志連合を組織して軍事力行使に踏み切る、というやり方が、はたして有効だったのかどうか。アフガニスタン戦争や、イラク戦争をみれば明らかではないだろうか。軍事力行使をためらわない米国流は、何より米国自身を疲弊させるし、世界の安定確保という意味からも疑問ありと言わざるをえないのである。
第三に、日本の独立を担保するのは、「自国は自国で守る」という、我ら自身の自主自立の気概である。しかし、米国追随のメンタリティーは、これを真っ向から棄損している。
激動の世界の中で、米国であれ、どこであれ、その国益に反してまで日本を守ってくれる国など存在しない。日本が独立国家だと言うのなら、苦しくとも、のたうちまわりながらでも、自主自立の気概を拠り所にして、国際社会の中で生きていくしかないのである。
イランに対しても、言うべきは言わなければならない。世界唯一の被爆国として、核兵器に対して厳しい姿勢を示すことは、日本の天命ともいうべき役割であろう。北朝鮮の核開発は声高に非難するがそれ以外は無関心ということになれば、自分の利益にしか興味がない国とみなされて、我が国の主張に説得力は生まれない。世界の平和と安定のために、諄々と理想を説く資格が日本にはあるのだ。核兵器を否とする確固たる理念を表明し、核不拡散の国際ルールづくりに取り組むことこそが、日本外交の存在感を高め、日本の安全保障にとって大きな力になると信じる。
 いわゆる有志連合に安易にのってしまうことへの私の最大の懸念は、千年にわたるキリスト対イスラムの抗争に、我が国が巻き込まれることにある。米国がイラン核合意から一方的に離脱して独自の制裁を言い始めたことから、今回の緊張状態が生まれた。しかし、この対立は、何らかの経緯で宗教間抗争に飛び火しないとも限らない。実際、現下の国際社会には、キリスト対イスラムの不協和音が通奏低音のように流れているではないか。
 日本は外交下手などと言われながらも、こと中東においては独特の中立的な立場を有している。日本が、キリスト教国でもなく、イスラム教国でもなく、また「八百万の神々」というように、多様な文化・宗教に寛容であることも理由の一つであろう。とくに日本とイランとの間には、出光の石油買付けやアザデガン油田など、「義侠心」をともなう特別な交誼があるではないか。
 そんな日本を、千年抗争に巻き込ませてはならない。それは、もちろん日本のため、かわいい子や孫のためであるが、同時に世界のため、人類の未来のためでもある。世界の中に、宗教的寛容さをもち、対立や競争よりも調和と共生を説く文明国が、ひとつくらいなければならない。私は、そのように思うのである。